歯科医療情報推進機構(iDi)
歯科では治らない歯の痛み エピローグにかえて
連載6

歯科では治らない歯の痛み エピローグにかえて

歯科では治らない歯の痛み エピローグにかえて 医療安全について述べてきました。当たり前のこととして患者さんの信頼の上に成り立ってはいるけど、実は歯科医療の現場で十分かなと思えるものがあります。そのひとつが"診断"です。
 "歯が痛いのは歯が悪いからだから歯の治療をすれば治る"
この考え方は歯科医師も患者さん自身も信じて疑わないことと思います。歯の痛みは虫歯か歯周炎のいずれかです。それは直接口の中を見るかレントゲンでも撮ればある程度容易に捉えることができます。したがって、歯科ではあまり診断論には重きを置かれず、もっぱら治療論が重視されます。当然です。
その一方で、歯の治療をしても無くならない痛み、抜歯までしても消えない痛みが存在します。
歯の痛みだけど原因が歯ではない痛み。これを非歯原性歯痛とか、口腔顔面痛といいます。診療ガイドラインもあり、少しずつですが認知されてきています。

国内の詳細な疫学研究がないのですが、おそらく全人口の2%くらいの発症率と考えられています。
2%くらいだからいいじゃないという意見もあるかもしれません。しかし本邦の20%程度が一年間に歯科を受診するといいます。20%の中の2%、つまり歯が痛いとして歯科を受診される患者さんの10%は実は歯が原因じゃない可能性があります。この患者さんたちは、歯が原因ではありませんから、通常の歯科治療を受けても治りません。痛みが出てきて何年もの間、いくつもの医療機関を訪ね、その間に検査、治療を受けられます。それでも痛みは解決しません。先日は、痛みが出て30年を超える患者さんがお見えになりました。驚きです。

その医療費についての報告では、年間1400億円にものぼり、歯科医療費全体の5%に相当します。

坂本 英治ほか、非歯原性歯痛の診断までにうけた治療歴と医療費についての検討

現在、医療費が年間4兆円規模の薬剤料。もらったけど飲んでいない、飲み残しが問題になっています。飲み残しの薬剤料は400億円とも500億円ともといわれています。

 規模から考えると口腔顔面痛に費やされる医療費は決して軽視できるものではありません。無駄になるだけならまだしも、抜歯や歯の神経を抜いたり、噛み合わせを削ったりと侵襲的な治療を施された結果、さらに痛みが複雑化してますます治りにくくなっていきます。そして気のせいとか、神経質とかいわれて煙たがられていきます。歯科では"歯じゃありませんよ、お医者さんに相談してください"と言われ、医者に行っても"それは歯のことだから歯科に相談してください"と本当にどうしていいかがわからなくなってしまうようです。(このようなムーブメントは何も歯科に限ったことではなく、医療界全体で慢性疼痛を問題視しています。むしろ歯科はやや乗り遅れた感があります。)

筆者の担当する"口腔顔面痛外来"にはそんな患者さんが毎日訪れます。いろんな患者さんがお見えになりますが、中には忘れられない患者さんもあります。

 歯が痛いと近くの歯科医院で治療したけど治らず、実は脳腫瘍でしたとか、数年にわたってインプラントまで繰り返していた痛みは実は三叉神経痛でしたとか、急な下唇の痺れが実はガンの顎骨内転移が原因だったとか。片頭痛発作の度に歯が痛くなって、数十年にわたり抜歯してこられた方もおられました。顎が痛くてたくさんの病院を訪ねて来られた患者さん。よくよくお話を伺うと、定年退職後の気持ちの落ち込みと家族の急逝が重なっていたうつの身体症状だったとか。
歯のことであればおおよそ見たら分かりますが、それ以外の原因となれば多岐にわたります。体のことだけでなく、こころの問題にまで目を向けないといけません。時には生活環境、人間関係に由来するものまであります。そりゃあ、歯なんか抜いたって治るわけないよって思います。人の痛みの奥の深さを教えられている感じがします。

 抜歯、インプラントなどによる神経損傷による痺れの治療、相談も来られます。しばしば訴訟に発展する問題なので慎重に話を進めます。神経の話だけに神経を使います。神経は切れてもいつか繋がって、繋がりさえすれば元に戻ると思われています。しかし決してそんなことはありません。その後神経障害性疼痛という目に見えない症状が残り、患者さんを苦しめます。目に見えないので彼らはわかりません。"歯を抜いてそんなことなるなんて聞いたことない"とか、"しばらくたって痛みが出るなんて、なんでも抜歯と結びつけてはいけません"などと真っ向否定する歯科医師も少なからずいます。患者さんは神経ばかりかこころもまた傷つけられます。どうやっていけば前を向いて生きていけるかを患者さんと一緒に考えながら取り組んでいます。
 これも何も歯科の先生たちを非難することではありません。その理由があります。残念なことですが、この口腔顔面痛に関しては現役の歯科医師はほとんどが学生時代に教えられていません。ほんの一部の先生が本や歯科医師会の講演会、専門学会に参加して卒後に勉強しておられるのが現状です。割と新しい学問なのです。筆者はたまたま恩師に巡り合い、この分野に身を置いています。そうでもなければ知らなかった分野かもしれません。

このような口腔顔面痛外来は全国にも歯学部、歯科大学の付属病院くらいにしかありません。さらにそれなりの経験を持つ専門医がいて、きちんと診てくれるところとなるとさらに限定されます。
口腔顔面痛を専門にしている先生たちを紹介します。もしも読者ご自身やご家族、お知り合いが口腔顔面痛かもという方は是非ご相談ください。

お住いの最寄りにはないところも多いと思います。ゆえに遠方からお見えになる患者さんもおられます。そんな方達を目の当たりにして、潜在的なニーズに対して、普及啓蒙が立ち遅れている現状にもっともっと頑張らないといけないなと思います。

 最後に

これまで安全、安心な歯医者さんということで、感染、治療中のドキドキ、口腔顔面痛などついて述べてきました。医療安全というキーワードにはいろんな要素が含まれます。摂食・嚥下のこと、口腔リハビリテーションのこと、字数の都合上まとめきれないくらいの膨大な情報と要素がまだまだ残っています。これからの歯科医師に寄せられる国民の皆様の期待の大きさを考えると、本当に様々なことが求められていることを痛切します。
 最後まで読んでくださってありがとうございます。最後に申し上げたいことは、患者さん自身も知識を持って、上手に歯科にかかってもらいたいです。いい患者さんになってほしいものです。この連載がそのきっかけになってくれればいいなと思います。いい患者さんがいい歯科医院を適切に選び、いい歯科医はその期待に応える。双方の意識が高まり、さらに質の高い歯科医療が展開されていくことを心から願います。

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